孤独

自分で思い込んで生み出した孤独。
周りの人間によって作り上げられた孤独。

僕の人生に初めて「病み」が訪れた頃の話。

僕は秘密主義だった。
きっかけも原因も分からないが、気が付いた時にはもう秘密主義の人間が出来上がっていた。
自分のことを他人に知られるだけ損、なんて謎の概念を持ちながら、常に周りの人間に恐怖を抱いて生きていた。
誰かにいじめられたわけでも、ハブられたわけでもなく、ただ一人で勝手に孤独を感じていた。
「自分がいなくても誰も気付かない」
「あの友達には他の友達との世界があって、自分は部外者」
「誰にとっても自分は居なくていい存在」
とんだ自意識過剰。
どうしたの?と声をかけてくれた人がいた。
僕の領域に足を踏み入れようとしてくれた人がいた。
今思えば、あれのどこが孤独だったのか。
しっかり友達に恵まれて、気にかけてもらえて、それで孤独だなんてどう考えても彼らに失礼だ。
その頃は気付けなかったけど。
秘密主義な性格のおかげで、どうしたのと尋ねられても答えることが出来なかった。
「なんでもないよ、大丈夫」
なんとまあ、自意識過剰が好きそうな台詞。
受け入れられていないのは、彼らではなく僕だったのにね。
勝手に一人で逃げて孤独だと思い込んだ馬鹿だ。
あれは僕が生み出した虚実の孤独で、事実ではない。周りの人間が作り上げる孤独とは違う。
今だからそう言える。

高校生にもなって、当時の僕と同じような様子が窺える知り合いはやはりいる。
それらは口にすればするほど、「周りの人間が作り上げる孤独」に近付く。
私は孤独だ〜なんて言われたら、じゃあ自分は何なの?となる人は少なからずいるはずだ。
自分のことを信じていない人間に寄り添うほどの熱量がその相手にあるか。
特に仲のいい友人を除けば、ほとんどの人が当てはまらない質問だと思う。
自分が生み出した虚実の孤独から、人が離れていく。
周りの人間が作り上げる孤独に変わる。
僕だってそうだ。そんなことを言い散らかしている人に寄り添うのに使う精神力は残っていない。
僕が言いたいのは、そんなことになる前に味方の存在に気付いて欲しいこと。
貴方が敵だと思っているその人は実は味方なんじゃないか?
声をかけてくれる人、気にかけてくれる人、友人、家族、赤の他人でも。
まずは自分のことを話してみることから。
よく知らない人間に一方的に自分のことをペチャクチャ喋ろうと思う人は一部を除けばいない。
貴方のことを話してこそ相手も自分のことを話してくれるようになる。
自分で生み出す孤独なんてふわふわしている。
人と話すだけで消え去るくらい曖昧な。
そんなものに負けないで欲しい。

だけど今の僕には、彼らに直接声をかけるほどのエネルギーも、感情を共に背負う精神力もない。
こんな細々としたブログには他人に伝える力はほぼ皆無に等しいが、申し訳程度にここに置いておこうと思う。

自分の話にはオチがないなといつも思う。
締めくくりに困る。
文才ってどこに売ってますか?