手を差し伸べる覚悟

最後に更新してから、有り得ないほど時間が空きました。なんなら、この記事を途中まで書いてから1ヶ月空けてまた途中から書いたので、おかしなところがあるかもしれませんがご勘弁を。

高校生と名乗りながら、僕は4月から大学生になる。
小学生の頃から少しだけ心理学が好きで、大学で心理学を学ぼうと思っていた。深く傷付いた経験から、同じように苦しむ人間の手助けになれると思った。

医師の診断を受けた訳ではないけれど僕は恐らくHSPで、人の感情をある程度感じられる。相手の状況を察して痛みを理解してあげられる、自分はそういう仕事に向いていると思っていた。
それを知っている友人は「お前は逆に向いていないと思う」と言った。そのときはあまり理解が出来なかった。

あるとき、僕は人に手を差し伸べることの苦しさに気が付いた。
一般的に、病んでいてめんどくさい人(言い方が悪いけれど)の相手をするのは大変だから避ける人が多いと思う。だけどその頃の僕はそう思っていなくて、放っておくこともできなかった。
それに加えて、僕は自分の状態や苦しみについていつも考えていて、特に精神的にやられていたときもあったので、相手の状態を言語化することはある程度容易だった。でもそれが災いのもとだった。
それが相手にとって珍しかったのか、嬉しかったのか、異常に好かれてしまって執着されてしまったことがあった。同じ学校の人だった。
僕は自分の領域に踏み込まれるのが得意ではないし、自分の時間を多く持ちたいタイプだから、執着されることは性に合わなすぎる。
それでも友人との共通の友人であったし、相手にとって数少ない救いの存在であるならと簡単に振り切ることもできなかった。

そしてそのときは来た。
僕とその相手とでは時間割が違っていて、相手の方が早く終わっていた。相手は僕と一緒に帰ろうと僕の授業が終わるまで待っていてくれたようだった。
だけど僕には先に他の約束があって、その約束を無かったことにはできないので、「ごめん、先に約束があるんだ。だから今日は一緒に帰れない。待っててくれたのにごめん」と伝えた。
後日お菓子でも持って謝りに行こうと思っていた。

でも、それが実行されることは無かった。
次の日顔を合わせようと思って会いに行ったとき、その人は明らかに態度が悪かった。
もうダメだ、と思った。今までも思うところはあったが目を瞑っていた。だけどそのときは直感的に終わったと思った。
それから、その人とは関わっていない。

後日聞いた話だが、その人はあのあと僕との共通の友人に僕のありもしないことを悪口として言いまくっていたようだ。異性を引き連れてる…とかだったか?なんだ、引き連れてるって。確かに仲がいい人は多かったかもしれないけれど、そんなことは断じてない。

いくら自分に自信の無い僕が考えても、あのときのことは申し訳ないとは思っているけれど僕が一方的に悪いか?と言われればそんなことはないと思う。
だけど相手にとってそれは大きな裏切りだったんだろう。孤独を感じている人間に手を差し伸べるというのはそういうことなんだろうな。
自分に見向きもしない相手を恨むことはなくても、一度でも手を差し伸べてくれた相手を恨むことは多い。悪い言い方をすればターゲットだ。


それから、僕は人に手を差し伸べることを避けるようになった。もともと自覚が無かっただけで、人の相談を受けているとき僕は相手の痛みを一緒に背負いすぎていて、あまりにも精神的な疲労が大きかった。

「お前には向いていない」という言葉の意味が分かった。

人間関係のイザコザ、痛み、苦しみからなんとか逃れようと走り続けている。
人の悩みもあまり聞けなくなった。あの頃の優しさは自分がある意味未熟だったからこそ持てたもので、そういった点では大人になるというのはこういうことなんだろうと思っている。自分が生きるために、ある程度割り切って自分のために時間を使うことが僕には必要だったのだ。

苦しんでいる人間に手を差し伸べるのは簡単なことではない。きっとみんなそれに多かれ少なかれ気付いていて、実行する人は少ない。

僕もそのサイドの人間になってしまった。
これでよかった、と思う反面、僕が将来救っていたかもしれない人を見捨てているような気がして苦しい気持ちにもなる。

案外、僕みたいな人の気持ちを感じ取りすぎてしまう人間より、割り切って生きられる強い心を持った人とか、人の背中をバーンと押せるような力を持った人とかが向いてたりするのかも。
結局悩んでいる人だってその人を変えられるのはその人自身だけだから、手を差し伸べる側は黙って聞いてあげるか思い切り背中を押すかなんじゃないか、と今は思う。

単純に心理学を学びたい気持ちもあったけど、それもやめて別の勉強をしようとしている。

大丈夫。こんな言葉苦しいときに聞いたって信じられないかもしれないけど、味方は絶対にどこかにいるし、生きてさえいれば大抵のことはどうにかなる。
毎日死のうとしていた僕がこんなことを言えるようになったんだ。大したこともできない僕が。

人として100点満点なんて1度も取れたことないけど、10点でも20点でも1点でも生きてさえいれば道はあるから。

やっとここまで成長してもまだ僕も生きる希望が持てないときはあるし、気分が落ち込んでどうしようもないときとか、何にも出来ないときばっかりだけど、なんだかんだ生きてるんだよな。

あと、世の中でよく言われている言葉に対しては、「綺麗事だし、んなわけないじゃん」ってずっと思ってたけど、意外と世の真理を突いているような気がしてきた。綺麗事は綺麗事かもしれないけど、それも1つの真実だなあって気付けるところまできたんだから上等。

広い目で物事を考えたい。

やらなきゃいけないこと、やりたいこと、たくさんあるけど、頑張りたい。

もう僕に簡単に手を差し伸べることはできないけど、自分の思いをひとりでに書くことはできるから、ここに残す。

大丈夫。生きられるよ。