期待ってなんだ?

最近思うのです。
「期待しなければ落ち込まないよな」と。

多分これ、小学生とか中学生が考えるような超単純なことなんだろうと思います。僕も実際その頃からずっと思っていたから。
でも実行するのって意外と難しかったんですよ。無意識に期待している部分があるというか。だからしばらく忘れていました。
最近、その「期待しない」感覚が分かった気がするので、記しておこうと思います。あらゆる感覚を忘れないうちに残しておきたい。

僕の思う「期待しない」は、おそらく「軽めに失望している」という状態に近いと思うんです。
失望という言葉を使うと、なんとなく落ち込んでいるような、悲しみに暮れているようなイメージになるかもしれませんが、それとも違う。
他人や世の中に対して希望を抱いていない、というのかな。例えば一番仲の良い友達だってこの先ずっと友達で居てくれる限りではないし、今後僕が進むであろう大学や就職先にも良い環境なんてそうそうない。そういう事実を心に留めておいて、良い結果になればラッキーくらいの気持ちでいる感じ。
努力ともまた違う話で、頑張れば結果が出る物事に対して「どうせ報われない」と思っているわけじゃないんです。
結果的に言えば、普段から悲壮感もなく、何か嫌なことがあってもそれほどのショックを受けない感じです。僕はこれ、とても過ごしやすいです。
その代わり心が無の状態の時間が増えたけど。

でも、昨日そういう話を友人としていたら、「つまんなくね?」的なことを言われたわけですよ。
確かにリスクの少ない人生ってそこまで面白くはならないでしょうね。ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンと言うように。
「その考えなら、プラスになる可能性があっても諦めるのか」、そんなことを言われました。
前述の通り、努力とは違う話なので僕にはそういう認識が無かったけど、一般的な「期待しない」とは違うのかな?話しているうちに、期待とはなんなのか分からなくなっちゃいましたね。まあ、良いんです。僕の解釈は大きな大きな母数の中の、たった一つの小さな解釈だから。

僕はこの生き方でいいと思っていたけど、それは僕が安定を求めているからで、安定以上に楽しさを求めている人にはものすごくつまらないことなんだろうな。
自分がしっくりきているからって、相手にとっての答えが同じだとは思わない方がいいですね。


全然関係ない話だけど…このブログ、他人からすればまるで中学生の黒歴史製造ブログのような気持ち悪いものだと思うんですよ、今の僕の思想を言葉に残すってことはどうしてもそうなっちゃうんだろうなって。
でも、それで良いんです。確かに気持ち悪いけど、その時の感覚って何かの形で残さない限り消えてしまう。僕はそれが嫌だから、例え気持ち悪くても載せます。気付けば、過去の自分の方が優れていた部分、今の自分の方が優れていた部分、両方ある。
忘れてしまった過去の良い部分をいつでも呼び覚ませるように…まあ、一生役に立たない可能性もかなりあるんですけどね。「くさい」という目で見てしまったら結果全部そうなんですよ。だから割り切ります。

今回はこれで終わりです。